大判例

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札幌高等裁判所 昭和55年(ネ)224号 判決

控訴人

向瀬漁業株式会社

右代表者

向瀬ハルエ

控訴人

菅原利一

右両名訴訟代理人

山下豊二

同復代理人

畑中広勝

高崎良一

片岡清三

被控訴人

興亜海運株式会社

右代表者

田村駒吉

右訴訟代理人

渡部史郎

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人らは被控訴人に対し、旭川地方裁判所昭和五四年(船)第一号船舶所有者等責任制限事件の責任制限手続廃止のときに限り、各自金四、〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年九月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人らは、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却、控訴費用控訴人ら負担の判決を求めた。

二  当事者双方の主張と証拠の関係は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示と同一であるのでこれを引用する。

(控訴人らの主張)

船舶所有者等の責任の制限に関する法律(船主責任制限法という。)による責任制限の対象から除外すべきいわゆる難破物責任に基づく債権とは、港則法等の難破物除去に関する法令により沈没船の除去命令を発した港長等の行政庁が、その命令の履行がないときに、自ら行政代執行法に基づいてこれを除去し、その費用を当該沈没船の所有者等から徴収する場合の求償債権のように、損害賠償債権とは別個の法令に基づく債権を指すというべきであるところ、被控訴人の本訴請求債権は、右のような行政執行を伴わない船舶衝突による通常の損害賠償債権にすぎないから、これは前記責任制限の対象から除外されるものではない。

(被控訴人の主張)

船主責任制限法は、難破物の所有者等についてだけ難破物責任に基づく債権を非制限債権としたと解すべきではなく、船長の過失による衝突事故のため他の船舶を沈没させた場合に、その加害船の船長と所有者は、被害船の難破物責任に基づく債権につき、非制限債権として、責任を負うと解すべきである。

難破物責任に基づく債権が、加害船の船長と所有者に対して制限債権になるとするなら、被害船の所有者は難破物責任に基づく債権の全額を支払わなければならないのに対し、加害船の船長と所有者は、責任限度額にとどまる僅かな金額の支払をもつて免責され、被害者よりも加害者を不当に保護する結果を招来することになるから、著しく公平を失するばかりか、正義にも反することは明白であつて、これは憲法一四条、二九条に違反する。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一控訴人菅原利一(控訴人菅原という。)が船長として操船中であつた同向瀬漁業株式会社(控訴会社という。)所有の第八榮保丸(一二四トン。榮保丸という。)が、昭和五四年四月二二日午前三時四〇分ころ北海道稚内市の稚内港北防波堤燈台から真方位三五七度約一、〇七〇メートルの検疫錨地に錨泊中であつた被控訴人所有の第三興亜丸(四九八トン。興亜丸という。)に衝突し、同日午前三時五〇分ころ同船を横転沈没せしめる事故(本件事故という。)が発生し、右事故につき、控訴人菅原には、前方注視等の注意義務を怠つた過失があつたこと、被控訴人が、沈没した興亜丸につき、同年五月一日稚内港長から港則法二六条による除去命令を、次いで同月一六日稚内港湾管理長である稚内市長から港湾法一二条一項及び稚内市港湾管理条例八条による撤去命令をそれぞれ受けたので、株式会社富士サルベージに同船の除去を代金三、九〇〇万円で請負わせて右の各命令を実行し、同年八月七日同社にその代金を支払つたことにより同額の損害を被つたこと並びにこれらの事実に関連する諸事情についての当裁判所の認定、判断は、原判決理由第一、二項及び第三項の九行目までの部分(但し、その第二項2の(一)の末尾から二行目の「(真方位)」を「(真方位、以下同じ。)」と、その(二)の一行目「自動操舵として」を「針路三四〇度と定めて自動操舵とし、」と、その五行目の「構じ」を「講じ」と、その八行目の「約一、〇七〇メートル前方の、」を「三五七度約一、〇七〇メートルの」とそれぞれ改め、その第三項七行目の「、同項の(二)に摘示のとおり、」からその九行目の「支払を約したこと」までを削除する。)に説示されたところと同一であるのでこれを引用する。

右によれば、控訴人菅原については民法七〇九条により、控訴会社については商法六九〇条により、それぞれ被控訴人が被つた沈没船除去費用である金三、九〇〇万円の損害を賠償すべき義務を生じたとみることができる。

二ところで控訴会社が、本件事故により生じた損害に基づく債権につき、控訴人菅原を受益債務者として船主責任制限法一七条による主文第一項1掲記の責任制限手続開始の申立をしたことは当事者間に争いがなく、また〈証拠〉によれば、右事件につき、昭和五四年一〇月二九日午後一時本件事故から生じた物的損害に関する債権につき責任制限手続開始の決定がなされ、この決定はすでに確定していることがそれぞれ認められる。

そこで被控訴人の控訴人らに対する前記沈没船除去費用の損害賠償債権が船主責任制限法三条一項二号の制限債権に該るかについて考えるに、同号所定のその他の権利に対する侵害による損害とは、物の滅失、損傷以外の物的な財産上の損害を広く含み、被控訴人の被つた沈没船除去費用の損害のごとく、事故がなければ課せられることのなかつた義務を負担し、その義務の履行のために生じたような損害もこれに属し、かつその義務が公法上のものであるか、私法上のものであるかは問わないと解されるから、右損害賠償債権は右制限債権に該当するというべきである。もつとも船主責任制限法は、我が国が批准した海上航行船舶の所有者の責任の制限に関する国際条約を国内法化したものであるところ、同条約一条一項(C)では、いわゆる難破物責任に基づく債権(沈没し、乗り揚げ又は放棄された船舶の引揚げ、除去又は破壊につき難破物の除去に関する法令によつて課される義務又は責任)をも制限債権に含めているが、その署名議定書二項(a)では、右一条一項(C)の規定の適用を排除する権利の留保が認められており、我が国では、これを制限債権とするとかえつて難破物除去義務の履行が円滑に行なわれなくなる虞のあることなどを配慮してその留保をなし、国内法である船主責任制限法ではこれを制限債権に加えなかつたことがそれぞれ明らかではあるが、しかし被控訴人の控訴人らに対する前記沈没船除去費用の損害賠償債権は、その損害が難破物除去に関する法令上の義務に基づき生じたものではあつても、その債権自体は、私法上の損害賠償債権にほかならないから、これをもつて難破物除去に関する法令によつて課される義務又は責任である難破物責任に基づく債権とみることはできない。

なお被控訴人は、右のごとく、控訴人らに対する前記沈没船除去費用の損害賠償債権が制限債権に該当すると解した場合には、被害者よりも加害者を不当に保護することとなつて、公平を失し、正義にも反するので、憲法一四条、二九条に違反する旨を主張するが、航海中の事故による損害に基づく債権について、加害者の責任が制限されるため、被害者がそれより多額の損害を自ら負担しなければならなくなるという事態は、その損害が右のように沈没船除去につき生じた場合に限られず、他の原因により生じた場合にあつても、船主責任制限制度のもとでは常に起り得ることであるところ、そのような責任制限を定める船主責任制限法の規定は、巨額の資本を投下した船舶によつて危険を伴う航海をなす国際的性格の強い海運業の特殊性等に鑑みて公共の福祉に適合するとみられる(最決昭和五五年一一月五日、民集三四巻六号七六五頁参照)から、それが憲法二九条に違反するとはいえないし、また右の沈没船除去費用の損害賠償債権を、他の原因から生じた損害賠償債権と同様に責任制限の対象となすことをもつて、憲法の右規定に違反するというほど、著しく正義、公平に反するとも解し難く、なお船主責任制限法の右規定は、右のような解釈をとつた場合にも、何人に対しても平等に適用されるものであるから、これが憲法一四条に違反するということもできないので、被控訴人の右主張は、いずれも採用の限りではない。

そうすると、被控訴人は、控訴人らに対する前記沈没船除去費用の損害賠償債権については、主文第一項1掲記の責任制限手続が廃止されない限りは、その基金から支払を受けることはできても、右責任制限手続開始の申立人である控訴会社や受益債務者である控訴人菅原の財産に対してその権利を行使することはできないから、右廃止を条件としてのみその支払を求め得るというべきである。

三進んで弁護士費用の点を検討するに、〈証拠〉によれば、被控訴人が、本件訴の提起に先立つてその訴訟代理人に対し、訴訟委任の手数料として金二〇〇万円を支払つたほか、金額は明らかでないが相当額の成功報酬の支払を約したものと認められるところ、前記責任制限手続の廃止を前提とする限りでは、本件事故と相当因果関係ある損害として、被控訴人が控訴人らに対し請求し得る弁護士費用は、本件事案の内容及び審理経過等に照らして、右のうち金一〇〇万円と評価するのが相当であり、なおこの弁護士費用の損害賠償債権も、その訴訟委任の対象たる前記沈没船除去費用の損害賠償債権の性質に従い、やはり制限債権に該当するとみられるうえ、右の責任制限手続廃止の条件が成就せず、従つて控訴人らが、右の沈没船除去費用の損害賠償債権につき責任を負わない場合には、その債権の支払請求についての訴訟委任による弁護士費用を負担させることも相当でないと解されるので、被控訴人は控訴人らに対し、右弁護士費用の損害賠償債権についても、前記責任制限手続の廃止を条件としてのみその支払を求め得るというべきである。

四よつて被控訴人の本訴請求は、控訴人らに対し、主文第一項1掲記の責任制限手続廃止のときに限り、それぞれ前記沈没船除去費用金三、九〇〇万円と前記弁護士費用金一〇〇万円の合計金四、〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五四年九月一九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当として棄却すべきであるところ、これと異なる原判決は一部不当であるから民事訴訟法三八四条、三八六条により右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、九二条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(安達昌彦 澁川滿 藤井一男)

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